お歯黒について
現代では、歯並びや歯の色に注目されており、その中でも白くて綺麗な歯が望まれている時代です。しかし、古くからの言葉として‘‘お歯黒‘‘といった言葉を聞いたことがあると思います。
現代とは違い、日本古来ではこのお歯黒といった真っ黒な歯が良いとされていた時代もあったのです。
なぜ昔は歯が黒いことが良いとされていたのでしょうか?そこにはどのような風習があったのでしょうか?
今回はお歯黒についてお話します。
【お歯黒とは】
お歯黒とはその名の通り、歯を黒く染めること、また歯が黒く染まったことを言います。
お歯黒は名称で、正式には「鉄漿(かね)」と言います。その他の別称としてはハグロミ、ハゴネなどがあります。
歯をムラなく艶のある漆黒に染め、それを保つことが女性にとって欠かせないもので、化粧やファッションの一環として使われました。このお歯黒こそが美しいとされており、綺麗にムラなく漆黒に染まった歯は、口元から歯並びや歯の色を目立たなくさせて、顔の印象を優しく見せる効果があったと言われています。また、昔は現在のようにハブラシで歯磨きを行う、などといった口腔衛生を日常習慣的に行うことが十分に浸透していなかった事情があります。
歯並びや歯の色を隠すだけでなく、口臭や虫歯予防のためにもしていたと考えられています。
【お歯黒の歴史・風習】
日本におけるお歯黒の歴史は古く、さかのぼること奈良時代です。
お歯黒は現在の朝鮮半島から伝わってきたと言われています。平安時代にはお歯黒は貴族の象徴とされており、歯を黒く染め17歳頃に成人であることを示す象徴でもありました。この頃には男女共にお歯黒をしていたとされています。
その後、時代とともにお歯黒を施す年齢がどんどん低くなり、室町時代には13歳頃、戦国時代になると8歳で染めるとされていたそうです。そして、江戸時代に入るとこのお歯黒という貴族たちの習慣が庶民にも浸透し、各地に広がっていきました。
また、この庶民たちに浸透した江戸時代頃からお歯黒は女子特有のものになってきたと言われています。
歯の表面は、エナメル質という骨よりも硬くて緻密な構造でできています。
お歯黒は、このエナメル質を染めるため、とても大変な作業でした。このような理由もあり、庶民たちへ浸透してからは、人生の大きな節目である結婚後に行う風習となり、お歯黒というと‘‘既婚女性の象徴‘‘とされていました。
‘‘黒‘‘は何にも染まらない色なのでえ、貞操を示し、既婚女性としての貞操を誇張していたようです。
しかし、このお歯黒の風習は、明治政府の文明開化による近代化政策により、ちょんまげなどと共に禁止されました。
徐々になくなっていき、大正時代にはほとんどが終焉したと言われています。
【男性のお歯黒】
お歯黒は女性の風習でしたが、のちに一定の身分がある男性にもこの風習が伝わりました。
男性が女性のように歯を染める風習ができたのは鳥羽院の時代からという説があります。
鳥羽上皇は歯がたいへん悪く、むし歯で人と話すことを嫌っていたそうです。
そこで臣下のものは歯にお歯黒をして「私たちもこのように歯が黒く悪いのです」ということから公爵たちがお歯黒にするようになったと言われているそうです。お歯黒は官位の象徴ともなり、官位5位(諸太夫)以上のものがつけることを許され、6位以下のものは「青歯者」「白歯者」といってお歯黒をつけることを許されなかったそうです。
【お歯黒禁止令が出た理由】
明治時代になると、明治政府は皇族や貴族に対して「お歯黒禁止令」を出しました。
明治政府は、フランスやイギリスを見習って日本を西欧化しようとしていたため、ヨーロッパの人から「お歯黒」を野蛮な風習のように見られたくなかったためです。ただ、一度の「お歯黒禁止令」だけでは、お歯黒の習慣を一掃することができなかったため、3度(1868年、1870年、1873年)もお歯黒禁止令が出されました。そして次第にお歯黒をする習慣がなくなっていき、現在では「演劇・花仰界・一部の祭り」などで行われるだけとなっています。
【お歯黒の成分】
お歯黒の材料は、60%タンニンを含んだ五倍子粉を酢酸第一鉄溶液からなります。
タンニンとは渋柿の渋の成分で、歯や歯肉のタンパク質を凝固収集させると共に、殺菌作用も示します。
一方、酢酸第一溶液の主成分である第一鉄イオンには、エナメル質の硬さを作るハイドロキシアパタイトを強くし、歯を酸から守る働きがあります。
また、第一鉄イオンは、酸化して第二鉄イオンとなるとタンニンと結合し、黒色のタンニン酸第二鉄となり、これがお歯黒の黒い部分となります。このタンニン酸第二鉄は単に黒いだけでなく、歯の表面を覆うことで歯が細菌と接触するのを予防する効果があります。
昔の人のお歯黒の歯にはほとんど虫歯がみられなかったそうです。奈良時代の宮廷から始まったお歯黒が江戸時代には庶民にまで広がり連綿と続いたのは、その効果を人々が理解していたからではないでしょうか。
お歯黒の歯には虫歯や歯槽膿漏も少なく、歯の痛みも起こりにくいといった言い伝えは大正時代まで続いている点からお歯黒は庶民の間で末永く伝わっていたのでしょう。
お歯黒の材料はしっかりと歯の汚れである歯垢を取っておかないと綺麗に染まらなかったので、お歯黒を行っていた女性たちは楊枝で口の中を丁寧に掃除していたと言われています。
このことは歯周病や虫歯の予防にはとても重要なことでした。また、お歯黒の色の状態を保つために週に1~2回ほど染めていたと言われています。艶のある漆黒を保つために手入れをしっかりと行っていたことも虫歯になりにくい理由の1つでした。
2023年06月19日 09:59