経歴 歯科治療の考え方
当院のホームページをご覧いただきありがとうございます。
たかはし歯科院長 高橋亮一です。
初診で、治療を受けようと思っている方は、どんな奴なのか、気になるところでしょうから、自己紹介をさせてください。治療の取り組み方も書かせてもらいました。
生まれは愛媛県の宇和島市、真珠と、闘牛が、有名な街です。小さいころから好奇心旺盛で、百科事典等本が好きなせいか、中学の成績はトップクラスでした。当時は、地元の秀才が集まると言われた愛媛県立宇和島東高校理数科に進み、某国立大学工学部に入りました。
しかし、ここから挫折の人生を味わいます。入試の点が足りず、全く関心のない学科に回され、やる気がそがれ、講義に出ず、試験も受けずと自堕落な生活を送り、留年も確定的になりました。また高校や大学で「世の中には、こんなにも頭が切れ、努力もできる者がいるのか、将来、技術者になっても大した仕事ができないのではないか。」と劣等感を感じていました。
国立大学だと、授業料は、当時、大変安かった。返還が、借りた金額の半分程で済む本来の奨学金もありました。「地方の医学部か歯科部ならなんとかなるかな」と甘い考えで、その場を逃げ出しました。受験勉強をやり直し、長崎大学歯学部に入学したのです。再受験は、親が反対しましたので、長崎での大学生活は、仕送りが、あまり期待できません。塾や、雀荘等でのアルバイト、奨学金で、ほぼ生活していました。おまけに山岳部のクラブ活動やバイク、麻雀、飲み会と盛んにやり、勉強する暇もなく?宿題もろくにしない劣等生で過ごしてしまいました。歯科は領域が狭いのでさぼりまくっても国家試験くらいは大丈夫だろうとなめていたのです。恥ずかしいながら、大学で勉強したと言えるのは、国家試験の直前2か月だけでした。それでも、当時の歯科医師国家試験は、できないのが不思議なくらいの簡単な問題ばかりで、自己採点で9割程出来たことを憶えています。
平成元年、卒業しました。当時は、歯科の研究など、馬鹿馬鹿しいと傲慢でしたし、親の援助もあてにできないので、大学に残ることは、考えませんでした。道草をしていたので、バリバリ働きたかった。東京に出てみたい憧れがあり、給料の良いところを探し、卒業後すぐに、縁もゆかりも無い埼玉の診療所に勤めました。
駅前と場所が良かったためか、1日100人以上来院する歯科医院でした。院長は、あまり顔を出さず、卒業3~4年の先輩と新卒の2人で、100人以上診療するのです。休憩する暇無く働き、昼休みも満足に取れず、野戦病院のような感じでした。当初は、この環境に疑問を持つことなく、とにかく毎日一生懸命、夜8時過ぎまで働いていました。
2年もたつと、手も自然に動くようになり、保険治療、一般的な自費治療の大抵は出来ました。こうなると、数をこなす診療ではなく、予知性の高い納得した診療をしたくなります。患者さんのニーズに応えることができ、より困難な、より精度を求められる診療です。そのような場所を探し東京稲城市の医院に変えました。1日15人程度のじっくり診療可能な自費率の高い診療所です。分院長で入りましたので、私の診療に規制がなかったので、自費治療全般、そしてインプラントや簡単な矯正を憶えることができました。
分院長としてそこを5年勤め、そろそろ開業したくなりました。ところが、父が亡くなり、母親への仕送り等で、資金がありません。どうしたものかと思っていましたら居抜きの診療所が阿佐ヶ谷で見つかりました。資金がほとんどかからなかった理由で、そこで平成9年に開業しました。開業すると勤務医時代より売り上げは少ないのですが、遥かに収入がよくなりました。勤務医の時は、どちらの院長も、「赤字、赤字、」と嘆いていましたが、嘘だったのですね。ある程度蓄えもでき、大切にしている?嫁の資金も借りられ、新品の器械、器材を購入でき、平成15年に現在の場所に、移転しました。
インプラントはもう30年以上の経験になります。当院に訪れる65歳以上の方の大半が、インプラント治療を受けています。
需要の多い年は、週3回手術し、年間100本程埋入しました。
勉強会で知った日本一上手な先生の診療所がある福岡まで、何度も足を運びオペ見学をさせてもらいました。要は、劣悪な骨の環境を改善するため大幅な骨造成を行い、しっかり噛める位置にピンポイントで埋入するオペの技術を盗みたかったのです。どこにでもインプラントが埋入でき、万が一、埋入が失敗しても骨を改造、再生させ、同じ場所にインプラントが、埋入できるという、夢のような治療でした。自信がつくまで様々な症例本も相当読み、滅茶苦茶勉強しました。複雑なオペには絶対必要でしたので、15年前、当時は高級外車が買えるほど高額だったCTを購入しました。診断計画を立て、大幅な骨造成をしてインプラントを正確に埋入する治療に夢中になりました。他院から来た患者さんを診ると、充分骨を造っておらず、おかしな位置にインプラント埋入しているのが散見されます。予知性の良いインプラント治療をするには、骨をしっかり造るのが条件になります。
矯正は、開業当初から初めていました。患者さんの要求に答えようと、講習会にも多く参加しましたが、得ること少なく、知識は、本で獲得しました。専門医のやる反対咬合、顎が曲がっているように見える側方変位咬合、奥歯だけ噛め、上下の前歯が嚙み合わない開口すべて経験しました。矯正専門医で顎切りの手術しかないと言われて当院を訪れた開口の患者さんもなんとか満足させることができました。なぜこのような処置をするのか、もっと確実で、早く治す方法はないのかと常に考えながら、本を読み、患者さんを診てきました。
困難と言われる下顎の埋伏親知らずは、卒後3ヶ月で経験しました。大学病院に紹介する開業医も多いようですが、経験の浅いドクターに当たると、必用外の組織を、ぐちゃぐちゃにされ、相当腫れて、寝込むほど痛みます。それが嫌ですので、通っていただいている患者さんは、面倒くさいですが、自分で抜いております。埋伏親知らずの抜歯は、コツを知れば、さほど難しくありません。
しっかり噛めることが、とても大切なので、多数のインプラントや総義歯を希望した場合、総義歯の大御所の先生が作った、顎の運動を正確に再現できる全調節性の咬合器を使い治療計画を立てます。どういうふうに完治させるかをあれこれ考えるのは、歯科医師冥利につきる楽しい作業です。よく噛める総義歯は、咬合関係が一番重要ですので、全調節性の咬合器を使い、技工士頼みにせず、私自身で作っています。
私の属していた勉強会のグループの多くのドクターは、矯正、インプラント、入れ歯、歯科分野の全てに精通し、治療していました。最近、開業している若いドクター連中は、ホームページを拝見すると、大学病院に長く残ったためか、一分野しか知らず、自分の専門以外は、全て人頼み、満足に抜歯もできないドクターもいるようです。いろいろな症例に当たらないで、正確な診断、治療説明ができるとは、到底思えません。
大学病院への紹介は、癌症例を4件(舌癌3件、歯肉癌1件)、良性腫瘍ですが、大幅な外科的手術が必要な例を3件です。
エビデンスに基づいて、きちんと、治療すれば、誰がやっても結果は、そう変わりません。困難な症例をこなす前に、あらゆることを想定し、本を読みこなすことが大切です。想定外のことが起きたら、知識不足、つまり勉強不足です。患者さんの反応は、本当に素直です。雑な治療、いい加減な治療は、必ず術者に跳ね返ります。治療は、上手くいって当然なのです。
子供の頃から、人の言うことをむやみに信じません。教師の教えを聞く良い子ではありません。理屈っぽい生意気な子供でした。塾にも行ったことありません。解らなければ、自分で調べました。本をしっかり、読み込めば、なんでも大抵のことは、理解できます。今や知りたい情報は、直ぐに手に入りますので、人から習うことは、ほぼ無いです。本格的な歯科の勉強は、開業してからでした。卒業した長崎大学歯学部は、新設校だったので、頼るべき先輩もいません。大学に残らなかったので、成長の助けとなる恩師も、いません。
私にとっての先生は、知識の裏付けがあっての丁寧な治療をすると、教科書通りの反応を示してくれる患者さんでした。困難な治療でも、自分でできると確信すれば、本を読みこみ、様々な情報を吟味して取り組みました。患者さんには、謙虚な気持ちで教わり、真剣に、取り組んでおります。ここまで、歯科医師として育ててくれた、來院され、当院で治療を受けていただいた全ての患者さんに感謝したいです。
最後まで、読んでくださってありがとうございました。